日本男子サッカーの悲願は、ワールドカップ(W杯)制覇と五輪での金メダルだ。これまでJ1鹿島アントラーズからも多くの代表が選ばれ、日の丸を背負って、世界の強豪国に挑んできた。今月開幕する東京五輪にも、上田綺世が選出された。
1997年、日本はアジア最終予選でイランと戦い、延長戦の末3-2で逆転勝ちし、悲願のW杯本戦初出場を決めた。鹿島の秋田豊、相馬直樹、名良橋晃の3選手が先発フル出場し、歴史的勝利に貢献した。いわゆる〝ジョホールバルの歓喜〟だ。
98年のW杯フランス大会でも、その3人のDFがメンバー入りした。3人は1次リーグ全3試合に先発出場し奮闘したが、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカにいずれも敗れた。
日本が初めてW杯で勝利をつかんだのは2002年日韓大会だった。鹿島からは秋田、鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二、小笠原満男、曽ケ端準の最多6人がメンバー入りし活躍した。
1次リーグ第1戦のベルギー戦では2-2で引き分け、W杯で初めて勝ち点をつかんだ。0-1の後半14分、鈴木が右足のつま先で決めたシュートは、強烈な印象を残した。
第2戦のロシア戦。後半5分、中田の左クロスに中央の柳沢がワンタッチで落とし、稲本潤一の決勝ゴールをお膳立てした。鹿島の2選手による完璧な崩し、アシストだった。これで日本はW杯で悲願の初勝利を挙げた。第3戦も勝ち、初めて決勝トーナメントに進出し、16強入りを果たした。
06年ドイツ大会は、ジーコ監督の下、柳沢と小笠原が選ばれた。ともに1次リーグ2試合に出たが、決勝トーナメントには進めなかった。
10年南アフリカ大会は内田篤人と岩政大樹の両DFが選出されたが、出番はなかった。14年ブラジル大会は鹿島からの選出はなかった。18年ロシア大会は植田直通、昌子源の両DFが選ばれ、昌子は1次リーグ2試合と、決勝トーナメント1回戦・ベルギー戦に出場した。
若い世代で争う五輪でも鹿島の選手は活躍している。00年シドニー大会は中田、柳沢、平瀬智行、本山雅志が選ばれ、32年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。04年アテネ大会にはオーバーエージ(OA)としてGK曽ケ端が出場した。08年北京大会は内田、4位入賞した12年ロンドン大会には山村和也がメンバー入りした。16年リオデジャネイロ大会にはGK櫛引政敏と植田が選出された。
そして東京五輪には上田が挑む。1次リーグは22日から始まり、初戦は南アフリカと顔を合わせ、さらにメキシコとフランスと戦う。勝ち上がればカシマスタジアムの準々決勝、準決勝で、上田の雄姿が見られるかもしれない。
上田は「代表に呼ばれることは国を背負うということ。その覚悟を持って僕は戦う。それは鹿島でも変わらないことなので、僕のやることは良い意味で変わらない」と力を込めた。その上で「FWの仕事は点を取り、チームを勝たせることだ」と、鹿島の選手としての誇りを持って戦う決意を示した。
W杯日韓大会日本代表に選出された鹿島の6選手。左から曽ケ端準、中田浩二、秋田豊、牛島洋社長、小笠原満男、柳沢敦、鈴木隆行=2002年5月17日、鹿嶋市のクラブハウス
■16年クラブW杯準V ジーコの教え息づく 小笠原「勝てなくて残念」 「負けていい試合はない」
2016年12月18日、鹿島が最も「世界一」に迫った日だ。クラブワールドカップ(W杯)決勝。延長戦の末2-4で敗れたものの、世界的スター選手がそろう名門レアル・マドリード(スペイン)を追い詰めた。試合後、健闘をたたえる拍手が起こった。ただ、選手たちの表情は悔しさでいっぱいだった。
準決勝で南米代表のナシオナル・メデジン(コロンビア)に3-0で完勝し、アジア勢初の決勝進出を果たした。曽ケ端準が好セーブを連発し、土居聖真、遠藤康、鈴木優磨がゴールを決めた。
決勝はRマドリードに食い下がった。先制を許し、世界随一の強豪クラブの壁はあまりにも高いと思われた直後、主将の小笠原満男が意表を突くミドルシュートを放った。枠は外れたが、仲間に対して戦う姿勢を示した。
目を覚ましたチームは最前線の金崎夢生をはじめ、全員で連動して圧力をかけた。DFリーダーの昌子源も勇敢に最終ラインを押し上げた。そして前半44分、柴崎岳が同点ゴールを決めた。観客の度肝を抜く華麗な左足ボレー。会場の空気が変わり始めた。
1-1の後半7分には、クリアボールを拾った柴崎が左足ミドルを決めた。6万8742人の観客で埋まった日産スタジアムは揺れた。
その後、クリスティアノ・ロナルドに3得点を奪われ、個の力の差を見せつけられた。それでも、大方の予想を覆す戦いぶりで世界を驚かせた。
胸を張れる結果だった。だが、小笠原は「結果を求めてやった。勝てなくて残念」、柴崎は「勝てるチャンスはあった」と無念の思いを述べた。鹿島にとっては負けた事実でしかなかった。
一夜明け、強化責任者の鈴木満氏は「ジーコからは負けていい試合は一つもないと言われ続けてきた。それは選手にも伝えている」と語った。相手や大会に関係なく、優勝できなければ2位も最下位も同じ。クラブの礎を築いたジーコ・テクニカルディレクターの教えは今も息づいている。
レアル・マドリード-鹿島 前半44分、鹿島・柴崎(10)が同点ゴールを決める=2016年12月18日、日産スタジアム、村田知宏撮影